松帆神社の社宝、名刀「菊一文字」は、承元時代(1207~1211年・鎌倉時代初期)作の古刀である。
時の後鳥羽上皇は全国より名刀工を召し出され御番鍛冶とし、共に親しく鍛刀遊ばされたが、その折の筆頭御番鍛冶であった備前福岡一文字派の祖である則宗の作と見られる。
刀姿には云うべからざる尊厳の気品を蔵し、その淬刀(やきは)は杢目肌(もくめはだ)に大模様の肌交わる丁子乱(ちょうじみだれ)で、あたかも朝日に匂う山桜のような荘厳華麗な刃文を有する点、世界に冠たる日本刀の神髄を発揮している。
古来、「八幡宮(松帆神社旧社名)には名刀あり」との口伝・噂はあったものの何処にあるどんなものかは判然としなかったが、昭和8年に偶然松帆神社本殿奥の内陣より発見された。その際に鑑定にあたられた鑑刀宗家 本阿弥光遜(ほんあみこうそん)氏は「在銘にしてかかる優れた出来栄えのものにはここ数年接した事がない。七百有余年を経て、なを且つ生(うぶ)に等しい刀姿は余程手持ちが良かったこともあろうが、宝刀の宝刀たる所以でもある。かかる尊貴の御刀が出てきたからにはさぞかし由緒ある神社に相違ない」と激賞され、「菊御作」「正真」との鑑定をいただいた。 ※下記写真中央にある紙片が本阿弥光遜氏による鑑定書原本(本阿弥折紙)
また、当時の文部省国宝保存課刀剣主査 本間順治博士からも「間違いなく菊一文字で、鞘(さや)・柄(つか)・鍔(つば)の拵(こしらえ)も刀身に劣らぬ世に珍しいもので、両々相まって重要美術品に認定する」との評価をいただき、昭和10年5月20日付で国の重要美術品に認定された。 ※日本刀重要美術品全集第4巻1頁に記載
当時、突然の発見であった事もありその由来には様々な説が出たが、(1)菊一文字の非常な希少性(有力大名・大財閥でなければ入手不可能と言われた) (2)吉川弥六の末裔吉川家に、「菊一文字は落人間で廻し持ちして隠し、その後領主を通じて八幡宮に奉納した」との口伝がある事 … の主に2点より、菊一文字は建武中興の恩賞として賜ったであろう大楠公遺愛の太刀として伝えるところとなった。
管理に細心の注意を必要とする貴重な名刀という事情もあり、松帆神社では10月第1週日曜日の例祭の日に限り宝物殿を開放し菊一文字の一般公開を行っている。 ※例祭当日以外の菊一文字観覧はできませんのでご注意下さい。代わりに、社務所に菊一文字関連資料を常設展示しております。