松帆神社ブログ第1回・刀剣の世界における「本阿弥家(ほんあみけ)」の功績と影響

松帆神社HPを立ち上げてひと月を経ましたが、個別のコンテンツ、特に刀剣である菊一文字・歴史上の人物 楠正成公(大楠公)が関係する内容については、詳しい方以外は基礎知識がなく分かり難い面もあると思います。松帆神社神職当人でさえも、人様に語れるほど知識に深みが十分にあるとは言えませんので、神職本人が勉強・取材した内容を元に、これから月イチ程度のペースでブログ形式のレポートをさせていただければと思います。

まず第1回は、刀剣の世界において鑑刀(刀の鑑定)の宗家と呼ばれ、絶大な影響力を発揮してきた本阿弥家についてです。今回、勉強の為に5/21(土)に黒川古文化研究所で開催された「本阿弥家と名物刀剣」(川見典久研究員)という講座を受講しに行ってきました。黒川古文化研究所は、あかつき証券㈱の前身、黒川証券の創業一族である三代目・黒川幸七氏が所蔵の文化財を展示する施設として西宮市苦楽園の高台に昭和49年に設立されたものだそうです。(詳細は黒川古文化研究所HPをご確認下さい)

現地は西宮市内でも通うのが大変な学校の5本指には必ず入るであろう、長~い急坂の上にある苦楽園小学校・苦楽園中学・西宮北高校(ラノベ・アニメの涼宮ハルヒシリーズの舞台のモデルとなった高校です)から更に急坂を200m程上った所にあり、行くのは大変ですが眼下に芦屋浜や大阪平野を一望する素晴らしい眺めの場所にあります。 ※当日は駐車車両多数の為、HPトップの写真をお借りしました。

 

さて、本題の講座の内容について要点をまとめて…。

・本阿弥一族は元々鎌倉で刀剣の研ぎ、真贋判断を生業とし、足利尊氏と共に上洛。初代 妙本(みょうほん)は室町幕府の刀剣奉行となった。

・六代目 本光以降、名に「光」をつける習わしとなり、一族は今出川烏丸近くの上小川町付近に居住。豊臣秀吉政権下では刀剣極所(きわめどころ)という刀剣真贋判定の役目を与えられた。

・安土桃山~江戸初期に書家/陶芸家/芸術家として名を馳せた本阿弥光悦(こうえつ)【永禄元年(1558)~寛永十四年(1637)】は、そもそも鑑刀を生業とする本阿弥分家であったが、家康の信任を得て京都西北の鷹峯に領地を拝領し、一族や他の芸術家を呼び寄せ一大芸術村を作った。

・光悦は二代将軍秀忠の刀剣目利き指南役も務める等、幕府と本阿弥家の関係が深まった結果、本家は江戸に移住。

・一族は本家当主の元に定期的に集まり刀剣の真贋判定(惣談合)を行い、当主が最終的な判断をし「折紙(おりがみ)」という鑑定書を出した。(「折り紙付き」という慣用句の元ネタ) 折紙は黄金五枚以上の価値のある刀剣に対して発行され、折紙を発行した刀剣の内容・金銭価値といった詳細は本阿弥留帳(とめちょう)という記録簿に記されていたが、関東大震災の折に焼失した。

・一族は刀剣の真贋判断や研ぎ、修復といった本来の生業に加え、貴重な刀剣の探索・流通にも従事するようになり、刀剣に関して絶大な影響力を発揮するようになる。

・太平の江戸時代、刀剣は大名同士の贈答品に多く用いられたが、その金銭換算価値を知る必要があった事情もあり、本阿弥家の折紙が付く事が重要視された。ただ、時代が進むと折紙記載の金銭価値を水増ししたり、惣談合なしに分家が勝手に折紙を出すような事例が発生し、本阿弥家への批判を招いた。

・また、本阿弥家は刀剣の付加価値を高める為、研ぎ・修復の範疇を超えて「無銘の刀剣に金字・朱字で銘を入れる」「鎌倉期以前の長刀を当世風の外観にする為に磨上(すりあげ)※ する」等の刀剣改変を行った。 ※磨上:やすり等で刀剣の根元部分をすって刀身部分の尺を詰めた上で、根元の先端を切断し刀剣全体の長さを短くする事

・八代将軍 吉宗の命令により全国の名刀を探索し「享保名物帳」を作成、その過程で伊勢家所有の「小烏丸」、本阿弥家所有の「鬼丸」、愛宕神社所有の「笹丸太刀(名物二つ銘・俗称:二つ銘則宗)を上覧した。

…といった内容が、当日 川見研究員からあったお話でした。(その他書き切れていない内容も多々ありますので、気になる方は黒川古文化研究所HPの「刊行物案内」をチェック下さい。「古文化研究・第15号」内にこの講演内容に関する論文が記載されているようです。刀剣に関する更に詳しい情報を知りたい方は「名刀幻想辞典」という個人の方が開設されているHPをご覧になる事をお勧めします。)

講演をお聞きして、松帆神社の菊一文字も発見されたのが昭和初期ではなく、享保の頃であったら享保名物帳に載った可能性もあるのかしら…等と考えながら帰って参りましたが、「菊一文字」のページでも書いたように、当神社の菊一文字に対して本阿弥家の惣談合の結果出していただいた「折紙」が現存しております。以下の画像はそのコピーになります。 ※見易いように、文字記載部分のみ集めております

右から、「菊御作」(後鳥羽上皇作の御刀である) 「正真・長弐尺四寸七分之有」(弐尺四寸七分:約75cm) 「昭和八年 酉(とり)」「九月三日」「本阿 + 本阿弥家花押(かおう)」 と書かれています。

本阿弥家の歴史をこうやって振り返ると、プラスの面ばかりではないのでしょうが、本阿弥家が存在していなかったら、日本の刀剣の保存・価値伝承は今ほどうまく進まなかった可能性が高く、刀剣の世界におけるその功績は大です。当神社が所有する「本阿弥折紙」は八十三年前のものですが、それでも文化財としての重要性・価値を痛感せざるを得ません。菊一文字と共にしっかり守り、伝えていかねば…と決意を新たにした今回の講演会でありました。

2016年06月10日