松帆神社ブログ第2回・日枝神社所蔵「国宝 則宗」について

松帆神社ブログ第2回は、菊一文字の生みの親と言って過言でない鎌倉前期の名刀工・「則宗」作で、東京・赤坂の日枝神社所蔵の「国宝・則宗」についてです。

菊一文字は「菊御作」という言葉にあるように、後鳥羽上皇の作ではないのか?何故則宗が菊一文字生みの親なのか?と不思議に思われるかも知れません。当HPの「菊一文字」のページにもあるように、後鳥羽上皇に招集され共に鍛刀に励まれた名刀工の中でも筆頭御番鍛冶と言われたのが、刀工集団・備前福岡一文字派の祖と言われる「則宗」その人です。則宗は筆頭御番鍛冶として、皇位の紋である菊紋を銘に入れることを許可されたと言われており、「菊紋」の銘とと福岡一文字派の銘である「一」が彫られた刀を「菊一文字」と呼ぶようになりました。

※「一」「菊紋」の銘があり、「菊御作」とされる正真の「菊一文字」は当神社の菊一文字の他にも、天皇家御所蔵のもの(いわゆる御物の菊一文字)等が一般に存在を知られています。

「一」の銘を始めたのは則宗と言われており、その後 福岡一文字派は他の刀にも「一」の銘を入れるようになります。「菊紋」を入れる事を許されたのは、筆頭御番鍛冶としての則宗個人の功績ですので、「菊紋」「一」の銘という菊一文字の不可欠の要素に関わった則宗は、後鳥羽上皇と並んで菊一文字の生みの親と言って差し支えない訳です。

残念ながら、「則宗」本人の銘が切られた刀で菊紋の入った刀は現時点で存在が確認されておらず、関連書籍にも「則宗本人の銘と菊紋の入った刀が発見されれば間違いなく国宝級」と記述される程です。ただ、「則宗」銘だけの刀でも大変貴重なものであり、今回取材した日枝神社所蔵の則宗は国宝に、京都・愛宕神社に豊臣秀吉が献上した いわゆる「二つ銘則宗」(「備前国則宗」の銘があるが、「備前」の部分が消えかかり「○国」「則宗」の2つの人物の銘があるように見えた為「二つ銘」と呼ばれた刀)は重要文化財に指定されています。

さて、今回7月上旬に拝観に伺った日枝神社の則宗は、正保3年(1646年)に5代将軍綱吉の初宮詣りの際に、徳川将軍家から江戸・徳川家の氏神である日枝神社に奉納されたものです。奉納された当時は、広大な江戸城の南西・裏鬼門に位置した日枝神社はひっそりと荘厳に鎮座されていたのであろうと思われますが、現在は赤坂一帯の繁栄の中に負けじと威容を誇る社殿が建てられております。

 

国宝則宗を始めとした日枝神社の宝物は、昭和54年の江戸城御鎮座500年大祭を記念して建設された宝物殿に収蔵されています。今回は、本当に残念なことに宝物殿の中が「撮影禁止」となっておりました。中は、ほぼ小さな博物館・美術館といった様相で、しかも拝観料は無料ですので、是非機会があれば皆様も足を運ばれてはいかがかと思います。 ※宝物殿は火曜・金曜・日枝神社の祭礼がある日には閉館となりますのでご注意下さい

 

…という事で仕方なく、国宝則宗のパンフレットの画像を貼らせていただく次第なのですが、訪問当日は月曜の午前中という事もあり、宝物殿はたまたま1時間の間私のみの貸し切り状態でありました。ガラス越しではありますが、国宝をしっかりじっくり拝見する滅多にない機会となりました。

 

当然ながら、日本刀は工業製品ではなく、手作りの極み・匠の神業になる一品ですので、太刀姿は丁子乱れが少なくすっきりとした見映えである等、松帆神社の菊一文字とは細部が異なっておりました。ただ、長さ78.5cm と長く反りの大きい優美な刀姿は菊一文字との共通項を感じさせるもので、徳川家献上という由緒正しさとも相まって、国宝指定も さもありなん…と感じ入った次第です。

当日は、わざわざ淡路島から則宗を見に来た…という事で、宝物殿管理人様に色々と資料をお見せいただく等、温かいご配慮をいただきました。中々お会いする事もかないませんので、この場で御礼申し上げる無礼をお許し下さい。

<当日の刀剣関係の展示品>

【重要文化財」豊後国「行平」作 /【重要文化財】備州「吉次」作 / 【重要文化財】太刀 銘 高包 / 【重要文化財】銘 定利

刀剣以外にも、家康公の御朱印書や重要文化財クラスの収蔵品が多数あり、ヘタな博物館をはるかにしのぐ展示内容です

<今回ブログの参考文献・参考サイト>

「日枝神社の刀剣」(ミュージアム出版・加島進著)/「図説・日本刀大全」(学研)/ 名刀幻想辞典(webサイト)

2016年07月25日