松帆神社ブログ第6回・社殿に息づく匠の技
今回の松帆神社ブログでは、松帆神社に訪れる方々は常に目にしておられるものの、残念ながらとても高い位置にあったり目につきにくい位置にある為になかなか注目されにくい、だけど見過ごしては勿体ない職人さん達の「匠の技」を取り上げます。
ご存知の方も多いと思いますが、戦前までの神社建築のほとんどが釘を一切使わない日本の木造建築の技術の粋を集めた宮大工の方々の高い技能によって成り立っていました。こうした技能の大半は屋根裏や土台の部分に潜り込まないと確認できない為、ご参拝の方々は勿論の事、我々神職でさえもなかなか実像を伺い知ることが出来ません。ただ、そうした類いまれな技能が表に出ている箇所があります。それは、神社の屋根周りの造作物です。
屋根と言えば瓦葺きが一般的ですが、一部の規模の大きい神社を除いて大半の神社も瓦葺きが主流です。松帆神社においても本殿以外の主要な建物は瓦葺きとなっており、この瓦の部分に瓦職人さんの技をしっかりと見て取ることができます。また屋根を支える木造の構造物には、微細な木造彫刻が施され宮大工の技術の高さを実感できます。松帆神社の拝殿や本殿の実例を見ながらご紹介していきましょう。
まずは、拝殿の屋根を正面から見上げてみます。正式には「入母屋造(いりおもやづくり)」という形式の屋根になりますが、やはり注目は屋根瓦の微細な装飾です。高さ7~10mはある部分ですので、肉眼では細かく確認することができません。こうして望遠レンズで拡大して見ていくことでその精巧さに改めて気付かされます。
中央の屋根の頂上部分に据えられる飾りの瓦は「鬼瓦(おにがわら)」と呼ばれ、「鬼師(おにし)」と呼ばれる職人さんが精巧な彫刻を彫るが如く整形して焼き上げていくそうですが、松帆神社では他の神社や寺院にも多く見られる「経の巻(きょうのまき)」と呼ばれる瓦が一番高い位置に据えられています。松帆神社の為に作られた経の巻ですので、中心には松帆神社の神紋である橘紋(たちばなもん)が描かれています。
その直下には、魔除けの意味を込めた唐獅子(からじし)の鬼瓦が鎮座します。こうして拡大すると、その生き生きとした描写に驚かされます。
屋根の最上部、大棟(おおむね)の部分にも龍の装飾が施され、両端には鯱(しゃち)が控えます。
これだけ精巧な彫刻を施した瓦を成形し焼き上げるには生半可でない技術を要することが容易に想像できますが、この拝殿の瓦は鬼瓦や通常の瓦も含め、全て「淡路瓦」で葺かれています。実は、淡路島は「淡路瓦」の名産地として愛知の三州瓦(さんしゅうがわら)、島根・石見の石州瓦(せきしゅうがわら)と並ぶ三大名産地の一つと言われてきたのです。
淡路島は瓦づくりに最適な粘土を産出する地域で、古くから瓦が作られていたそうですが、江戸時代初めに洲本市由良の成ヶ島に城を築くために播州の瓦職人が集められたのが現在の淡路瓦興隆の起点になったそうです。当時、重い瓦を大量に運ぶには陸路よりも海路・水路が有利という事もあり、近畿や瀬戸内一円に淡路瓦が広まっていったとの事。現在は南あわじ市を中心に多数の瓦業者さんがおられ、神社や寺院の屋根に多く使われる「いぶし瓦」ではトップシェアだそうです。
松帆神社の拝殿の屋根は、平成7年の阪神淡路大震災で傷み雨漏りがひどかった為、地域の氏子・崇敬者の皆様方の浄財により平成17年に全面改修したものです。耐熱性・対候性に優れるといういぶし瓦が全面に使われたそうで、すでに十年を超える年月が経過しても、しっかりとその美しさを保っています。
さて、屋根瓦の話ばかりしてきましたが、宮大工さんの仕事ぶりも見ていきましょう。拝殿の正面、鬼瓦の真下の部分の欄間(らんま)にはこちらも見事な龍が透かし彫りで彫り込まれています。
こちらは、流造(ながれづくり)の本殿の屋根の下支えの部分に施された装飾です。左端には、魔除けの獏(バク・夢を食べるという霊獣)が見られます。こちらも、外から見えることは見えるのですが、これだけはっきりと見ることができるのは本殿に近付くことを許された神職だけでしょう。
今回、松帆神社でご覧いただける匠の技…という主題でご紹介をしてきましたが、決して松帆神社だけが特殊な訳ではありません。皆さんのお宅の近くの神社・仏閣をもう一度注意深くご覧になると、今回ご紹介したものよりももっと凄い匠の技がご覧になれるかも知れません。
日本の伝統技術は本当に奥深い… 我々松帆神社の神職にとって本当に身近な社殿をこうやって注意深く見ていく中で改めて気づかされた次第です。