松帆神社ブログ第9回・菊一文字と沖田総司

松帆神社の宝刀となっている太刀・菊一文字は、今でこそファイナルファンタジーを始めとした数々のゲームや新選組が関わる小説・果てはラノベに至るまで、様々な所で取り上げられ、それ程刀剣に詳しくない人でも目耳にする事がある存在になっているようですが、戦前までは刀剣に本当に詳しい愛好家の間でなら話が通じるような知る人ぞ知る存在であったようです。

その菊一文字が一般の人にも知られるようになったきっかけ、更には 新選組一番隊 隊長 沖田総司の刀としての知名度を得るようになった契機は、昭和の大作家と言える 司馬遼太郎氏の小説「新選組血風録」(1962年5~12月 小説中央公論掲載)・「燃えよ剣」(1962年11月~週刊文春掲載)であったようです。

 


特に短編集の体裁を取る「新選組血風録」の最後を飾る話として、沖田総司を主人公とした「菊一文字」という短編が描かれており、そのストーリーが「沖田総司の刀=菊一文字」というイメージを一般読者に強烈に残したようなのです。

短編「菊一文字」は、沖田が懇意にしている刀剣商が、偶然京都のさる神社から発見された菊一文字を入手し、大名からの高額での買取の要望を蹴ってまで、日頃からその腕と人柄に惚れ込んでいる沖田に貸し与えるのだが、その菊一文字を巡ってひと騒動起きて…という話です。その話中で労咳で自分の先は長くないと悟った沖田が、鎌倉初期から何百年も生き長らえた菊一文字を大事に愛おしむ場面があり、若くして亡くなった沖田の悲劇性とも合わさって非常に多くの人の心に残ったのでしょう。

土方歳三を主人公に描く「燃えよ剣」の中でも、特別に沖田の最期を描く章があり、千駄ヶ谷の植木屋に隠れ療養していた沖田が京都の頃から所持していた菊一文字を肌身離さず持っていたという記述が出てきます。(沖田総司好きな方の間では有名な「庭の黒猫を斬れなくなった」という話もここで出てきます)

勿論、新選組に関する研究が進んだ現在では、江戸末期では既に菊一文字の真作は入手困難であり、入手できたとしても大大名に限られるような貴重なものである為、新選組隊士の沖田が持っていた可能性はゼロに等しい、ましてや人斬りが日常の一番隊隊長が実際に使う筈もない、従って「沖田総司の刀=菊一文字」は完全なフィクションである…というのが定説になっているようです。(沖田の刀としては、加州清光等の比較的時代の新しいものを使っていたと言われています)

こうした詳しい方のご意見をWeb上で数多く拝見していると、「沖田総司の刀=菊一文字」は司馬遼太郎氏の創作ではなく、司馬氏が新選組を題材に作品を書くにあたって参考とした子母澤寛氏の伝記・小説「新選組始末記」(1928年刊行)に「沖田の刀は菊一文字細身のつくり」とあり、それを参考にしたのだ…とされています。

そこで、「新選組始末記」とそれに続いて刊行された「新選組遺聞」(1929年刊行)を読んでみたのですが…どこにも菊一文字の話は出てこないのです。う~ん、どういう事か??それでは司馬遼太郎氏は何を参考にしたのでしょうか?

 

「沖田の刀が菊一文字というのは創作」説を確認すべく、その他の新選組関連の著作を図書館で調べまわったところ、結喜しはや氏著の「新選組一番隊・沖田総司」(2004年・新人物往来社)という本の中に興味ある記述が見つかりました。

 

その記述とは以下の通り。「…というので、総司の佩刀(はいとう)が古刀『菊一文字』というのは、現在では物語のなかのこととして、広く知られていることである。が、その物語の誕生したのには、沖田家ご子孫より『総司の刀は菊一文字で、その後神社に奉納された』とのお話を直接聞かれた故・森満喜子氏が、同じく故人となってしまわれたが、司馬遼太郎氏に伝えられて、たとえ古刀であるから事実でなくとも小説のうえでは、と総司の佩刀としてお願いされたというものである。」

森満喜子氏(1924~2000年)は九州・大牟田在住の沖田総司研究家・作家として有名な方で、その著作は見事に沖田総司関連ばかりという方です。結喜氏は生前の森氏とも交流があったそうですので、上記の内容は事実として認定して問題ないのではと思われます。

じゃあやっぱり「沖田総司の刀=菊一文字」はフィクションなのね…という結論になりそうですが、私個人としては別の見方もあるのではないかと思います。

仮に、「総司の刀は菊一文字」と沖田家で言い伝えられていたのだとしたら、沖田総司が最期の療養生活中、死の間際まで身近に置いていた刀は「菊一文字と名の付く刀」だった可能性が高い筈なのです。何故なら、沖田家の子孫が 脚色の為に名のある刀を沖田総司が持っていた事にしようと考えたとしても、他に名のある刀はゴマンとある訳です。どうして、菊一文字の名前が出てくるのでしょう?通常であれば、尊敬すべき祖先(or 叔父 or 大叔父)について、言い聞かされた話を、刀の知識もないのに脚色したりしないでそのまま伝えようとする筈です。

そう考えると、沖田総司は死の間際まで「この菊一文字は大事なものなんだ」と周囲の人に言いつつ傍に置いていた様子が目に浮かびます。仮にその場合、沖田の手元にあった菊一文字が真作であったかと問われると、そうではないかも知れません。

新選組に詳しい方は既にご存知の通り、新選組局長 近藤勇の刀と言えば「虎徹」、鬼の副長 土方の刀は「和泉守兼定」…となっており、それに異論を挟む方はないと思いますが、土方の方はともかくとして、近藤勇の「虎徹」は偽作であったというのが定説となっています。(勿論、いやいや真作だったという説もあるようですが)

ただ、近藤勇の場合、偽作の虎徹を本物と信じて実際にそれを使って実戦で活躍した為、偽作うんぬんは問題にされなくなっている…という背景があるように思いますが、ともかく、名のある刀でも偽作であれば新選組隊士でも入手の可能性はあったという事です。真作の菊一文字を沖田が手にするのは難しいとしても、「これは掘り出し物の菊一文字ですよ」という形で偽作の菊一文字を手に入れ、大切にしていたという可能性ならあるのではないでしょうか?そう考えると、まさに司馬遼太郎氏の「菊一文字」の短編のシーンが目に浮かんで来るようです。

ですから、「沖田総司の刀は?」という問いに対してはこのような回答が正しいと思うのです。「沖田総司が主に使った刀は加州清光、沖田総司が愛した刀は菊一文字」。皆さんはいかが思われますか?

沖田総司の死後 神社に奉納された…と沖田家に言い伝えられている刀が見つかれば、謎は全て解明されるのでしょうが…。しかし、逆に全て分かってしまうのも色々と空想を楽しむ余地がなくなって興ざめかも知れません。結局は、皆それぞれの沖田総司像を持ち、その中で彼に相応しい刀は何かを考えるのが正解のような気がします。

2017年03月14日